『暗夜行路』(草稿)が見つかりました
貴重な草稿が発見されました
我孫子市内の個人宅から、志賀直哉の小説『暗夜行路』の草稿(小説の下書き)が新たに発見されました。
草稿は小熊太郎吉氏の曾孫にあたる小熊吉明さん宅より発見され、志賀直哉研究の専門家である生井知子教授(同志社女子大学)に鑑定を依頼したところ、志賀直哉の真筆ノートであることが確認されました。
表紙の書込みには「志賀直哉氏ノ小説原稿ノ下書 大正十二年是登(太郎吉)文庫」とあり
小説の下書きであること、また大正12年に小熊太郎吉氏へ譲られたことがわかります。
いくつもの修正跡がある草稿から何度も推敲した様子がうかがえます。
中央あたりにある〈「丹兵衛さんよ」といった。〉は暗夜行路後篇と一致しており、
このノートが暗夜行路の下書きになったことがわかります。
志賀直哉と『暗夜行路』
志賀直哉(明治16〈1883〉年2月20日-昭和46〈1971〉年10月21日)は、日本の小説家であり、学習院の同窓生により創刊された雑誌『白樺』の中心人物です。
大正4〈1915〉年~12〈1923〉年に我孫子に在住していました。『暗夜行路』を執筆した書斎は「志賀直哉邸跡」として整備され現在も見学することができます。
『暗夜行路』は志賀直哉唯一の長編小説として知られています。
志賀は我孫子に住む以前の大正元(1912)年頃から執筆にとりかかり、試行錯誤を繰り返し、大正10(1921)年に『暗夜行路』前篇を発表、最終的に昭和12(1937)年に後篇が刊行され完結しました。
その過程で、多くの草稿が作られましたが、ほとんどが日本近代文学館に納められ、『志賀直哉全集』(岩波書店刊)に掲載されています。
今回発見された草稿は『志賀直哉全集』に納められていない、貴重な草稿です。
今回発見された草稿について
今回の草稿は市販のノートに鉛筆で記されており、何度も推敲した様子がうかがえます。
また、このノートには当時の心境や手紙の下書き、家の間取り図なども書かれており、我孫子に住む直前の大正4年夏頃までに執筆されたものと考えられます。
草稿の内容は、主人公 順吉が友人と妻と花札で遊ぶが、妻がずるをして勝ったのではないかと疑う。ところが妻が花札をよく知らないだけだった、というもの。また友人に誘われて祇園に遊びに行き、家に帰るのが遅くなったところ、妻が心配のあまり寝ずに待っていた、という内容です。
『暗夜行路』の完成稿では主人公は「時任謙作」であるが、草稿段階では主人公の名前が「順吉」と異なっているのも特徴です。
この草稿の一部は、大正11年に刊行された後篇第三の京都でのエピソードに活かされていますが、大正3年の志賀直哉自身の京都での新婚生活の出来事を下敷きに書かれているとみられています。
今回の寄贈資料には柳宗悦との交流を物語る資料も含まれており、今後解析していく予定です。
また市では今年の秋、市制55周年記念事業として、この草稿を白樺文学館で展示します。
