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杉村楚人冠記念館 最新イベント

登録日:2020年6月7日

更新日:2026年4月13日

春季企画展「杉村楚人冠と石川啄木の交流」

杉村楚人冠と石川啄木は、東京朝日新聞社の社員として出会い、短いながらも深く親交を結びました。
 
今回の展示では、二人の関係や両者をめぐる人々について、楚人冠に送られた書簡を中心にご紹介します。

展示期間

令和8年4月15日(水曜日)から7月12日(日曜日)まで

展示内容

1 石川啄木とは

石川啄木(本名はじめ)は、明治19年(1886)、岩手県に生まれました。そんな啄木は、盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)で学ぶうちに文学に目覚めます。
 
明治38年(1905)に第一詩集『あこがれ』を、明治43年(1910)に『一握いちあくの砂』を刊行し、歌人としての地位を確立しました。

2 楚人冠と啄木の周辺

楚人冠と啄木には共通の知人が多くいました。小説家の野村胡堂こどうや啄木研究の第一人者である吉田狐羊こよう、また夏目漱石等が挙げられます。
 
啄木は明治42年(1909)、東京朝日新聞社に校正係として入社します。啄木の入社を後押ししたのは、『東京朝日新聞』編集長の佐藤北江ほっこうでした。そしてこの翌年、社会部長の渋川玄耳げんじが「朝日歌壇」の選者として啄木を大抜擢します。佐藤も渋川も、同じく東京朝日で働く楚人冠と交流がありました。
 
また啄木の死後、楚人冠は歌人である土岐善麿と親しくなります。土岐は啄木晩年の親友でもありました。啄木の死が、楚人冠と土岐を巡り会わせたのです。

3 楚人冠と啄木

楚人冠と啄木が親しくなったきっかけと考えられるのが、社会主義への興味です。楚人冠は、幸徳秋水や堺利彦ら社会主義者とも親しくしていました。対する啄木は明治43年(1910)の大逆事件に影響を受け、社会主義について調べ始めました。
 
楚人冠は、貧困に苦しむ啄木を援助するため、社内で募金を行ないました。集まった金は佐藤北江の手で、啄木に贈られました。啄木はその金で、ずっと欲しかったクロポトキン著『ロシア文学』を購入したことを、楚人冠への手紙で打ち明けています。

過去の企画展、講演会などイベントのリストへのリンクです

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教育委員会 生涯学習部 杉村楚人冠記念館

〒270-1153 千葉県我孫子市緑2丁目5番5号
電話:04-7187-1131 ファクス:04-7185-4330

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