杉村楚人冠記念館 最新イベント
春季企画展「杉村楚人冠と石川啄木の交流」
杉村楚人冠と石川啄木は、東京朝日新聞社の社員として出会い、短いながらも深く親交を結びました。
今回の展示では、二人の関係や両者をめぐる人々について、楚人冠に送られた書簡を中心にご紹介します。

杉村楚人冠肖像写真

石川啄木肖像写真(『現代短歌全集』より)

大逆事件について綴られた啄木の書簡
展示期間
令和8年4月15日(水曜日)から7月12日(日曜日)まで
展示内容
1 石川啄木とは
石川啄木(本名一)は、明治19年(1886)、岩手県に生まれました。そんな啄木は、盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)で学ぶうちに文学に目覚めます。
明治38年(1905)に第一詩集『あこがれ』を、明治43年(1910)に『一握の砂』を刊行し、歌人としての地位を確立しました。
2 楚人冠と啄木の周辺
楚人冠と啄木には共通の知人が多くいました。小説家の野村胡堂や啄木研究の第一人者である吉田狐羊、また夏目漱石等が挙げられます。
啄木は明治42年(1909)、東京朝日新聞社に校正係として入社します。啄木の入社を後押ししたのは、『東京朝日新聞』編集長の佐藤北江でした。そしてこの翌年、社会部長の渋川玄耳が「朝日歌壇」の選者として啄木を大抜擢します。佐藤も渋川も、同じく東京朝日で働く楚人冠と交流がありました。
また啄木の死後、楚人冠は歌人である土岐善麿と親しくなります。土岐は啄木晩年の親友でもありました。啄木の死が、楚人冠と土岐を巡り会わせたのです。
3 楚人冠と啄木
楚人冠と啄木が親しくなったきっかけと考えられるのが、社会主義への興味です。楚人冠は、幸徳秋水や堺利彦ら社会主義者とも親しくしていました。対する啄木は明治43年(1910)の大逆事件に影響を受け、社会主義について調べ始めました。
楚人冠は、貧困に苦しむ啄木を援助するため、社内で募金を行ないました。集まった金は佐藤北江の手で、啄木に贈られました。啄木はその金で、ずっと欲しかったクロポトキン著『ロシア文学』を購入したことを、楚人冠への手紙で打ち明けています。
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