杉村楚人冠記念館 最新イベント
令和8年度夏休み特別展示「ジャーナリスト楚人冠ってどんな人?」
令和8年7月15日(水曜日)から10月12日(月曜日)まで
展示概要
明治、大正、昭和と、東京朝日新聞社にて国際的ジャーナリストとして活躍した杉村楚人冠。
彼の人生と、その中で成し遂げた仕事、そして出会った人々を、書簡や書籍などの資料と共に分かりやすくご紹介します。
展示内容
青少年時代
広太郎は弁護士になるため15歳で上京しましたが、しばらくすると法律の勉強をやめ、英語を学び始めました。広太郎はめきめきと上達し、英語教師として教壇に立つまでになります。
その他にも仏教や文学について学んだり、自身の得意分野を活かして、新聞や雑誌の編集者、米国公使館での勤務なども行ないました。この公使館の勤務で誕生したのが、広太郎のペンネーム「楚人冠」でした。
ジャーナリストの仕事
楚人冠は明治36 年(1903)31 歳の時に東京朝日新聞社に入社を果たします。これより73歳で亡くなるまで、楚人冠はジャーナリストとして活躍し続けることになります。
楚人冠は自身の青少年時代に培った知識や経験、人脈などを活かして、仕事に励みました。彼の書く文章は朝日の読者をとりこにし、楚人冠は瞬く間に東京朝日の看板記者になりました。
交流した人々
楚人冠はジャーナリストだったこともあり、幅広い人脈を持っていました。
今回の展示では、嘉納治五郎や河村蜻山といった我孫子での人脈を中心に紹介します。
我孫子での暮らし
楚人冠は晩年21年間を、我孫子で過ごしました。我孫子での暮らしの様子は、楚人冠の随筆『湖畔吟』にのこされています。
楚人冠がみた我孫子の魅力や面白さが詰まった文章の数々を読むと、当時の我孫子が蘇ってくるようです。
楚人冠の作品
皮肉が効きつつも読みやすい楚人冠の文章は、当時の東京朝日新聞の読者に大変な人気がありました。
楚人冠は人気のあまり、生きているうちから全集が刊行されました。『楚人冠全集』は、現在でも図書館などで読むことができます。
宿直日誌
ウォーターマン社の万年筆
「アサヒグラフ」創刊号表紙
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