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地勢・市名の由来

登録日:2015年7月1日

更新日:2022年4月2日

千葉県我孫子市は、海抜約20メートル、南北延長は最長部で約4キロメートル、東西延長約14キロメートル、面積はおよそ43.15平方キロメートルです。地理的には千葉県の北西部に位置し、東に印西市、南と西は手賀沼を隔て柏市があり、北は利根川をはさんで、茨城県取手市・北相馬郡利根町と隣接し、手賀沼と利根川にはさまれた細長い馬の背状の土地となっています。

昭和30年4月に我孫子町、布佐町、湖北村が合併して我孫子町となり、昭和45年7月に市制をしきました。豊かな水と緑に恵まれ、都心から約40キロメートル、常磐線で35分の近距離にあることから、首都圏へ通勤する人々の住宅地としての役割がおおきくなっています。

市名「あびこ」の由来

「我孫子」という地名は非常に難読な地名として知られています。現在のところ、我孫子市域をさす「アビコ」として資料的に最古のものは、鎌倉時代末の正和2(1313)年の「尼しんねん譲(ゆずり)状」(土地の相続をめぐる遺言書)に「しもつさのくにあひこのむら」(下総国我孫子村)とあるものと考えられています。これにより少なくとも鎌倉時代には我孫子市域が「アビコ」として呼ばれていたことがわかります。それ以前の奈良・平安時代の公式な文書では我孫子市周辺は「下総国相馬郡」と呼ばれていて、我孫子という地名は確認されていません。
それでは、我孫子の由来とは一体どのようなものでしょうか。古代において「我孫子」は氏(ウジ)や姓(カバネ)という、血筋や職種にかかわる苗字のようなものであり、人名として使用されていました。表記は異なりますが「阿毘古」「我孫公」という人の記録が残されています。古墳時代(3世紀から7世紀)にかけて日本列島で大きな権力を有した大王(オオキミ、のちの天皇家につながっていくとされる)や大和地方の有力豪族は、各地の地方豪族を支配下におさめる際に、豊かな土地を直轄地とし、そこに住む人々から貢納物を納めさせました。その際に土地やそこに住む人々に「我孫子」という名前が付けられたと考えられます。大阪や奈良をはじめ、全国各地に「我孫子」「安孫子」「吾孫子」などの地名や人名が認められるのはこのためであると思われます。
また発掘調査の成果からみると、我孫子には水神山古墳(高野山、全長69メートルの前方後円墳。4世紀後半。千葉県北西部地区最大の古墳)が作られ、古墳時代の早い時期から大和政権とつながった人物がいたと考えられることから、文字として残されてはいませんが、大王や大和政権との深い結びつきから「我孫子」の地名が付けられたと考えられるのです。

〈参考文献:市史研究センタ-発行「THE・アビコ」〉

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