地勢

千葉県我孫子市は、海抜約20m、南北延長は最長部で約4km、東西延長約14km、面積はおよそ43.19平方kmです。地理的には千葉県の北西部に位置し、東に印西市、南と西は手賀沼を隔て柏市があり、北は利根川をはさんで、茨城県取手市・北相馬郡利根町と隣接し、手賀沼と利根川にはさまれた細長い馬の背状の土地となっています。
昭和30年4月に我孫子町、布佐町、湖北村が合併して我孫子町となり、昭和45年7月に市制をしきました。豊かな水と緑に恵まれ、都心から約40km、常磐線で35分の近距離にあることから、首都圏へ通勤する人々の住宅地としての役割がおおきくなっています。
「あびこ」の由来
「我孫子」という地名は非常に珍しく、文献上では正和2年(西暦1313年)の九州の三池文書の中に「しもうさのくにあひこのむら」という記述が出てきます。これが我孫子市の「アヒコ」を示すことから、地名が存在していたことが確実になりました。
地名の由来については市で調査を進めていますが、現在のところ語源として次の四つが考えられています。一つは、古代の氏(ウジ)や姓(カバネ) にちなむとする説で、大和朝廷の古い時期の官職として「古事記」等に出てくる「阿毘古」があります。この阿毘古は、大王(オオキミ)に魚や鳥などの食糧を貢進する氏族でした。中央の氏族は地方に領民をもっていたことから、それらの土地には各氏族の名がつけられ、それが後世にまで残ることになります。県内にもある蘇我とか葛城などはそのような地名ではないでしょうか。二つめは、網曳(あびき)が転じたとする説で、網曳はもと宮内省(ミヤノウチノツカサ)の大膳職に属する雑供戸で、海産の魚貝を貢進する品部でした。もしかすると、常陸川(現在の利根川)の鮭を網で捕ったりする「網引」や手賀沼の水鳥を網で獲ったりする「網子」など、地元の食産物を貢進していた集団(広義の「饗彦」)が住んでいたのかもしれません。三つめは、地形に根拠を求める説で、アバ(くずれた)・コ(処)が転じた崩壊地形を示す地名やアミ(網)・バ(場)の略で漁場を示す地名が考えられます。四つめは、外国語由来説でインドシナのチャム語のアビ(火)クク(神)やヘブライ語のAbik (我らの先祖たち)があります。またアイヌ語では、ap-Kotan(釣針-村)やapkot-ni(釣-竿)があり漁業に関する地名と関係しています。
いずれにしろ、今のところ鎌倉時代以前には我孫子市の「あびこ」という地名を示す文献記録は存在しないので、地名があったのかなかったのかということは何ともいえないのです。
〈参考文献:市史研究センタ-発行「THE・アビコ」〉





